誰かの暮らしに寄り添う家をつくりたいと思うとき、
間取りでもなく、設備でもなく、
まず“光の気配”を想像します。

朝の光が、まだ眠たそうな木のテーブルを
そっと起こすように照らします。
ブラインド越しの粒のような光は、
外の景色を日記のように切り取ってくれる。
部屋の中は静かで、カップに置かれた影まで優しくて、
その日は少しだけうまくいきそうな気がします。

昼の光は、窓辺をあたたかい場所に変えてくれます。
ここに座ると、景色と自分の境界が曖昧になって、
風の音や木々の濃淡まで
身体の中にゆっくり溶けてくる。
用事がなくても、
つい腰を下ろしてしまいたくなる場所です。

夕方になると、光はときどき魔法を使います。
長い廊下の奥に、小さな椅子の影を引き連れて、
金色の道をつくってしまう。
まっすぐに伸びるその光を見ていると、
今日という一日をちゃんと受け止めてくれる家なんだと、
そんなふうに思えてきます。

家は、便利さだけでは愛せません。
整っているだけでも、広いだけでも、
好きにはなれません。
不思議ですが、人が家に惹かれる理由の多くは、
そこで出会う“光の表情”にあるのかもしれません。

どんなに慌ただしい日でも、
何かがうまくいかなかった日でも、
ここに帰ってくると、心の速度がすっと落ち着いていく。
そんな家をつくれたなら、
これほど嬉しいものはありません。
忙しさの中にあっても、一日の終わりに訪れる
自然の色と静けさに気づき、味わうこと。
それは、外の風景をただ“眺める”のではなく、
暮らしの一部として“まとう”ということでもあります。
光を迎え入れるように心を開き、
その色の移ろいとともに生きる。
そんな時間を重ねることで、
住まいは、茜色をそっと纏うような深い安らぎを
住む人に静かに手渡してくれるのでしょう。

