彼女と記憶
私には今、娘がひとりいます。
その彼女を目の前にして、いつも考えていることがあります。
物心がつき始めた彼女の目に映るものは、
すべてが初めてで、私が何気なく見ている日常の風景とは違い、
きっと、記憶の奥深くに刻まれるような、
とても大切な風景を見ているのではないか、
そして、そんな彼女と私は一緒に何を見るべきなのか、何を見せるべきなのか
そんなことをよく考えています。
ある日、彼女がよく読む好きな絵本に海が描かれていたので、
本物の海のある風景を見せたいと一緒に出かけました。
「あの絵本にでてくる海だね!」なんてそんな彼女の感想をわずかに期待したりしていたのですが、
彼女は足元に敷き詰められた無数の貝殻を、
歩けばそのポケットから零れ落ちんとばかりに夢中でポケットに詰め込んでいました。
それで、よいのだと私は思います。
貝殻を集めたその行為とともに、潮の香りや、海に調和して立つ家々などが、海の原風景として真っ白な記憶の中に刻み込まれるのだと思います。
アーキテクト(建築士)とは古いギリシャの教えで「神に変わって風景をつくることを許された唯一の人」と堀部先生に教えて頂いたことがあります。
神にかわってだなんて、大げさな気がしますが、彼女と見たその場所や、対岸にある海の風景と一体化した調和の取れた家々など、そこには風景との調和を計り設けた姿を感じとることができました。
お客さまとヒアリングをするときに、娘と同年代の方ともよく一緒になります。
今は、風景に対して何の要求もない彼女たちだからこそ、
どんな風景を見せるべきなのか、どんな街並みを見せるべきなのか、どんな家を見せるべきなのか、そして、どんな原風景を刻み未来へと繋いでもらいたいのか、そのようなことも考えながら、家の設計に取り組んでいます。
ひとりの父親として。
by hatakeyama